同窓会

同窓会

ALMO 2017.03

Natori01名取はにわ

 

理事長

日本BPW連合会(National Federation of Business and Professional Women’s Clubs of Japan)

(前内閣府男女共同参画局長)

国内プログラム (1980年修了)

 

 

 

 

 

名取さんのこれまでのキャリアの道を教えてください。また専門分野とその分野に従事するに至った経緯を教えてください。

    私は、埼玉大学政策科学研究科2期生で、2年間勉強し、政策決定過程論で政治学修士を取りました。

    卒業後、法務省女子少年院の法務教官として役所に戻り、数年勤務した後、女子差別撤廃条約批准の準備をしていた総理府婦人問題担当室に出向しました。そこから男女共同参画行政に関与が始まりました。

    1995年総理府男女共同参画室の室長兼内閣審議官となり、同年第4回世界女性会議に政府代表団の一人として参加し、1999年男女共同参画社会基本法の制定まで様々な仕事をすることができました。

在任中、橋本行革で唯一、内閣府に男女共同参画局が新設することが発表されました。

    2003年内閣府男女共同参画局長に就任し、2005年第2次男女共同参画基本計画を閣議決定しました。この計画は、内閣府が発足して初めてのもので、内容的にも、内閣府に設置された経済財政諮問会議、総合科学技術会議、中央防災会議との連携を図ることができました。

    また、2030年までにすべての指導的地位に占める女性を30%にするという目標も入れました。

    2007年4月から2期6年、内閣府情報公開・個人情報保護審査会委員を勤めました。大変でしたがやりがいがありました。

 

名取さんは内閣府男女共同参画局にて2003年から2013年まで局長をされてきました。この期間を振り返った時、日本における男女平等に関してどんなことを成功に導き、反映できたとお考えでしょうか?またこれらの期間を通して達成できなかったことも教えてください。

    Natori02私が内閣府男女共同参画局長を務めたのは、2003年8月から2006年7月までです。

    男女共同参画行政に対して、バックラッシュが吹き荒れた大変厳しい時期でした。

    まず、日本の少子化の原因は、女性の社会参画が進んだせいだから、女性を家庭に戻さなければならないと声高に主張されました。

    そこで、OECD国際比較調査をしたところ、日本の女性は最も社会進出しておらず、ただ、ただ少子化が進んでいることがわかりました。EUやアメリカは女性の社会進出が進むにつれ一時出生率は低下するのですが、様々な両立支援策により、子育てと仕事を両立することができるようになると出生率は上がることがわかりました。一方日本の女性は、子育てか仕事か2者択一なので、どちらも低いレベルにとどまるとわかりました。

    厳しい状況にもかかわらず、後戻りしない第2次男女共同参画基本計画を閣議決定できたことは、成果だったと思います。

    男性職員の育児休業(休暇)100%を目指し、5人のパパに取得してもらったこともいい思い出です。

    育休明けのパパたちの輝く瞳を忘れることができません。

 

現在は日本BPW連合会(National Federation of Business and Professional Women’s Clubs of Japan)の理事長として長年に渡り女性の社会的向上や環境の改善に貢献されてきました。現在の名取さんの役割として、何を達成することを期待しますか?

 日本BPW連合会は、BPW Internationalという国際NGOの傘下です。BPWIは国連経済社会理事会に諮問的地位を有しています。

  • 毎年3月に開催される国連女性の地位委員会に、若い女性達をインターンとして派遣しています。例年全世界から数千人のNGOがN.Y.に集まり数百のイベントが開催されるので、居ながらにして、素晴らしい経験をすることができます。毎年報告書を作成しています。
  • 男女の賃金格差解消のため、賃金格差を「見える化」するイコール・ペイ・デイ・キャンペーンを行っています。昨年は、女性は、4月10日まで働いてようやく男性の1年分の賃金に追いつくことができました。だから4月10日が、日本のイコール・ペイ・デイなのです。
  • UNWomenとグローバル・コンパクトが作ったWEPs(Women Empowerment Principles)の普及に努めています。
  • 世界経済フォーラムが毎年公表しているGGGI(Global Gender Gap Index)における日本は、最新が144か国中111位と目を覆うばかりの低さです。ここからの脱出を目指して、毎年イベントを開催しています。

 

現在の安倍政権は、女性活躍推進のための男女平等政策を実行、促進することを表明しているように思います。これらのことは本当の意味での女性活躍社会へとなっていくものなのでしょうか?

    昨年4月女性活躍推進法が施行され、昨年10月からは、ワーク・ライフ・バランスに取り組んでいる企業に、公共調達で点数を加算することになりました。中央政府で5兆円規模と言われ、ようやく企業も女性の活躍に、本気を出してきています。

    GGGIの数値から見ても日本の男女共同参画の歩みは遅すぎるのが問題ですから、推進力が図られることを評価します。

    最大の課題は政治における女性議員が少ないことで、他国で導入されているクオータ制度が望まれます。

 

これまでの仕事の中で対面した最大のチャレンジとは何ですか?また、最も面白いと感じたものややりがいを感じたことを教えてください。

 最大のチャレンジは、バックラッシュでした。

 日本は女性を活躍させないとすると、国が衰えるに違いない、一体どんな国にするつもりなのかと、どう考えても分かりませんでした。

 

 面白いと感じたことは、男女共同参画行政です。

 この行政は、1975年国連婦人年に端を発しています。

 つまり、新しい行政分野です。

 国連が提唱し、各国がそれに合わせて進みながら、NGOの声をくみ上げて進んできました。

 男女共同参画は、国境の問題はあまりなく、世界の国々が男女共同参画社会の実現という共通の目標を目指して進んできました。

 つまり、いいとこ取りができる行政分野なのです。

 日本の政策決定は男性主導で行われてきており、世界から見ると後れを取っていますが、もっともっと女性を登用し、真剣にキャッチアップをすれば、きっと追いつくはずです。

 

GRIPS/GSPSでの経験が名取さんにもたらしたものとは何でしょうか?また本学で過ごした時間や研究は、その後の生活やキャリアにどのような影響を及ぼしていますか?

    当時、猛烈に勉強したくなって入学させていただきました。

    2年間勉強し、「よど号」ハイジャックをテーマとして、政策決定過程論を使って論文を書くことにしました。数か月掛けて、論文を書いている時がとても楽しかったです。煮詰まると指導教官に相談に行き、いろいろ適切な指導を受けることができました。それを基に考えを進めるのが、とても楽しいことでした。

    当時はPCもなく、論文は手書きでしたから、肩が痛くなりましたが、それでも、かけがえのない時間を過ごすことができました。人間は好きなことをするものなのだと悟りました。

    私のキャリアの原点はこの経験だと思います。このような経験を与えてくださった御大学院に、心から感謝しています。

 

GRIPS/GSPSでの一番の思い出は何でしょうか?

    勉強からは離れてしまうけれども、気分転換がてら料理に打ち込み、腕が上がりました。

 

今後どのようにGRIPSとの関係を維持していきたいですか? GRIPSの修了生ネットワークをより一層活用していくために、何かご意見はありますか?

    同窓会のご案内などよくくださるし、講演のお知らせも届けてくださるし、ありがたいです。

 

〒106-8677 東京都港区六本木7-22-1

TEL : 03-6439-6000     FAX : 03-6439-6010

PAGE TOP

Print Out

~