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学習者の主体的な授業参加を導く教師の行動―中国の高等教育における日本語教育の現状と課題を踏まえて―

博士論文、要旨、審査要結果

学位取得者氏名: 冷麗敏
学位名: 博士(日本語教育研究)
授与年月日: 2008年3月26日
論文名: 学習者の主体的な授業参加を導く教師の行動―中国の高等教育における日本語教育の現状と課題を踏まえて―
主査: 杉戸清樹客員教授(国立国語研究所)
論文審査委員: 今野雅裕教授
金田智子教授(国立国語研究所)
横山紀子教授(国際交流基金日本語国際センター)
曹大峰教授(北京日本学研究センター教授)
水谷修教授(名古屋外国語大学学長)
大山達雄教授

I.論文要旨
 
 本研究は、中国における日本語教育の現状をとらえた上で、特に高等教育機関における日本語教育(以下、「高等日本語教育」)の現場でいかに「学習者の主体性」が実現できるのかについて、具体的な授業分析をもとに明らかにしようとしたものである。
21 世紀に入り、中国では「素質教育」(個々人の資質の向上を目指した教育)の方針に基づいた国家基礎教育改革が推し進められ、現在は、高等教育にも改革の波 が及んでいる。しかしながら、新しい教育理念が徐々に広まってきた中で、それは単なる理念としてのみとどまっている傾向があり、実際にいかにして教育現場に結び付けたらよいのかが課題となっている。現実的な課題の一つとして、「学習者の主体性」を高めることが重要視され、教育現場もこれに関心を寄せてはいるものの、それがいかにして実現できるかという問題がある。
本研究は、このような背景と問題意識に端を発し、中国における日本語教育の改善を目指して、学習者の主体的な授業参加行動を導く教師の行動とは何かを明らかにすることを研究目的としている。論文は、次の二部からなる。第一部の研究は中国の日本語教育の現状と課題を明らかにするものであり、第二部の研究は学習者の主体的な授業参加行動を導く教師の行動をとらえることを目的とするものである。
第一部では、中等日本語教育と高等日本語教育の現状について、教育の指針である『課程標準』『教学大綱』の分析を行い、さらに、教育内容を具体化した教科書 の分析を行っている。これに加え、中国国内の6大学で実施した授業に関する意識調査の結果分析、日本語教育の現場の一授業を事例とした授業分析を行い、高 等日本語教育の現場の実態を多面的にとらえた。これらの分析を通じ、中国の日本語教育の現状と課題を明らかにしている。
これらを通じて、教育における関心が従来の教師側から学習者側へと転換する傾向にあること、現場では「学習者の主体性」が求められていること、さらに、高等日本語教育においては、実際的言語運用能力の養成が目標として掲げられながらも、教育現場は言語知識重視で、教師の説明を中心とした授業形態から依然脱却できずにいることなどが 把握され、とりわけ高等日本語教育の現場が抱える課題が浮き彫りになった。
第二部では、第一部でとらえた日本語教育の現状と課題を踏まえ、教育現場における「学習者の主体性」の実現を求め、その具体策として、授業で教師がいかにして学習者の主体的な授業参加を促進するかという課題の解決を目標として掲げた。そのために、学習者の主体的な授業参加を導く教師の行動とは何かを研究課題として設定し、論文筆者が実際に高等日本語教育の現場で学習者の主体的な授業参加を導くための工夫をした授業を試みたうえで、その授業における会話データを収集して、これらを対象に授業分析システム「FOCUS」を利用し て授業分析を行っている。
具体的には、学習者の主体的な授業参加行動として「自発的発話」に注目し、自発的発話とこれを導く教師発話の機能 (「Move Type」)との関係を分析した。その結果、「促し」以外の「枠作り」「返答」「反応」という機能を持つ教師発話が注目すべきものとして把握され、学習者 の自発的発話はこれら3種の発話の後に、有意差をもって現れやすいことが確認された。
この結果を踏まえ、「枠作り」「返答」「反応」がどのように自発的発話と結び付いたかについて事例の質的分析を行った結果、自発的発話を導き出した教師の発話行動とその特徴が、以下のように把握された。
学習者の主体的な授業参加が導き出されたのは、教師が学習者発話の内容の「くり返し」によってそれを自身の発話に「取り込み」をしたときであった。また、学習者発話に対し、共感や感想を述べて理解を示したり、賛成や賞賛を与えて評価したりすることによって、教師自身の「感情や心情の表出」をしたときであった。さらに、学習者自身のことを語った発話や学習者の情報を提示した発話に対し、教師が興味や関心を示す発話を返していたり、学習者の発話したい内容が言語化されるための言語的支援をしたりしたときにも学習者の主体的な授業参加が起こった。
以上のような授業分析から、教師主導の一斉授業で学習者の主体的な授業参加を促進するには、教師が一人一人の学習者の発話内容に注目し、関心を持って接すること、また学習者発話への対応を工夫することが重要であること、換言すれば、授業では教師が学習者発話や学習者のことに対し、注目し、受け入れ、肯定や支持を表現することが学習者の主体的な授業参加を促進する要因となっていることが結論として導かれた。
以上の研究成果に基づき、本論文は、今後、高等日本語教育の教育改革において、学習者重視の教育理念 を具体化し、学習者の主体的な発達を促進するために、教育現場に臨む教師が自身の教授活動における行動や姿勢を内省し、学習者の主体的な授業参加を促進する具体的な工夫を行って授業や教室の質的改善を図ることが不可欠であると提言している。

 

II 審査結果報告

 

  本論文の最終報告に引き続き、平成19年11月19日(月)17時から審査委員会が開催された。審査委員は杉戸清樹(主査・国立国語研究所)、今野雅裕 (副査・政策研究大学院大学)、金田智子(副査・国立国語研究所)、横山紀子(副査・国際交流基金日本語国際センター)、曹大峰(副査・北京日本学研究セ ンター教授)、水谷修(名古屋外国語大学学長)、大山達雄(政策研究大学院大学)の7名であったが、本論文について以下のような意見が出された。
   

  1. 日本語教育研究に関する当該の分野で日本の大学院に提出された中国出身者による博士論文としては画期的な意義を持つ可能性のある論文だと言える。 多く見られる古典研究や日中両言語の対照研究等ではなく、中国の教育改革を縦軸とし日本語教育現場を横軸にした「課題解決型」の研究であることが高く評価できる。特に、論文筆者の従事している高等日本語教育では、学習者重視という課題が教育理念と教育実践の双方に求められていると指摘し、今後の教育改革に 具体的な提言を行っていることは重要な成果である。

  2. 第一部の研究内容は、戦後の中国における言語教育政策の変遷を、中国国務院『基礎教育の改革と発展の決定』等の基本的指針や中国教育部の『教学大綱』や『課程標準』などの基本的文書を遡及的・通時的(retrospective)な視点で具体的に吟味した上で、教育関係者への意識調査や教科書・授業の実態分析によって、教育現場の実態と課題を把握したものであって、本大学院の学位授与対象基準(第ⅲ項)によく合致するものと評価できる。さらに、論文執筆者は、中国教育部国家重点プロジェクトの委員として現行の中等教育『課程標準』の策定に参加した経歴を有する中核的日本語教官(北京師範大学)であるが、本論文がそうした立場と経験に基づいて、教育政策にかかわる内容で執筆されたものであることも、学位授与対象基準(第ⅰ項:policy- relevancy)に合致するものと評価できる。

  3. 第二部の研究内容は、授業場面で教師と学習者が交わす言語的やりとりについての詳細な分析であるが、こうした授業分析は、日本語を母語としない中国人教師が中国の教室現場で行う授業を対象として行われたことが従来なかった。この意味で、10時間に及ぶ授業会話を録音文字化した上で、FOCUSとい う授業分析システムにより実証的に扱った本研究は、今後の中国における日本語教育研究や言語教育研究に新たな研究方法を導入するものであり大きな刺激を与 えるものと評価できる。さらに、本研究の示した「教師は学習者の創造的発話の支持者となり、その良き聞き手となるべし」というメッセージは、これまで教師主導、知識重視で行われてきた中国の日本語教育に向けた新しい提言として重要な意義を持つと評価できる。

  4. 本研究の成果内容の一部は、論文執筆の過程ですでに3件の学術論文として査読を経て公刊されている(他に1件が公刊予定)。また学会や国際シンポ ジウム等での口頭発表も5件を数える。このことは、本研究の内容が独創性を有し高い水準にあることを意味しており、本大学院の学位論文の水準を十分に満たしていると評価できる。

  5. タイトルからは、第二部を主体とする論文であると解されるが、第一部と第二部の量的な構成、第一部から第二部へのつながりに疑問が残る。第二部で焦点とした「学習者の主体的な授業参加を導くための教師の行動」としての「反応」「枠作り」「返答」などの教師発話について、さらに、どのような状況の下で学習者の参加行動をもたらすか、授業内容や授業形態によって異なるのか、より活発にするにはどうすべきか等の課題にチャレンジすべきであろう。

  6. 学習者の自発的発話が、学習者の行動のうちに占める割合が相対的に小さいことを踏まえると、それ以外の非自発的発話、非言語行動などについて、いかにして自発的発話に切り替えさせていくかといった角度からの検討も求められるのではないか。

  7. 「学習者の発話内容に共感や関心を持って対応し学習者を支持する」という教師の行動は、学習者が自らのことを創造的に語る発話があって始めて実現 し効を奏するものであろう。論文筆者は、この点について「文法項目に関する応用練習」で「自分の経験についての文を考えさせる」という工夫をして授業を行い、教師発話に先行する「学習者自身によって創造的に産出された発話」に注目しているが、このことを、より明示的に記述する必要があると思われる。

  8. 教師発話と学習者の自発的発話の具体例を列挙する際、一つ一つの分類について少数の事例だけが示されている点に不足を感じる。他の事例がどのようなものであったかについての分析や記述を補う必要があるだろう。

  9. 各章の相互関係、内容的な軽重などの観点から、現行の章構成をいま一度吟味する必要を感じた。例えば、第6章を、研究の目的、枠組み、方法論を説 明する別の箇所に繰り入れる可能性や、前述した内容を再度まとめた第9章での繰り返しを整理し、「今後の課題」の部分は、結論を述べた第10章に組み入れる可能性があるだろう。

  10. これらのほか、表現の細部や、用字・用語の適切性の問題点については、個別の指摘を受けて修正稿に反映させる必要がある。

 

 上記のコメントに対して、著者には直ちに論文の修正を行い、修正稿を提出し、主査の最終確認を経た上で博士論文最終版として提出させることにした。審査委員会において、このような手続きを経ることに合意し、本論文が本学博士論文として妥当であると結論付けた。

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