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Cluster-Based Industrial Development: The Case of the Electrical Fittings Cluster in Sargohda, Pakistan(集積型産業発展:サルゴダ(パキスタン)における配線器具産業集積の事例)

博士論文、要旨、審査要結果

学位取得者氏名: Babur Wasim Arif
学位名: 博士(開発経済学)
授与年月日: 2010年9月1日
論文名: Cluster-Based Industrial Development: The Case of the Electrical Fittings Cluster in Sargohda, Pakistan(集積型産業発展:サルゴダ(パキスタン)における配線器具産業集積の事例)
主査: 園部哲史連携教授
論文審査委員: 大山達雄教授
大塚啓二郎連携教授
Jonna Estudillo連携教授
戸堂康之教授(東京大学)

I. 論文内容要旨
 本研究は、発展途上国の産業の発展プロセスに関して、パキスタンで収集した1次資料を駆 使して、興味深い実証分析を展開している。途上国には、同種の製品を生産する企業が数多く狭い地域内に集中的に立地した産業集積が数多く存在する。それは 集積することによって生じるメリットがあるからである。表題の集積型産業発展には、産業集積を形成しつつ発展している多くの国の多くの産業に共通の発展プ ロセスという意味合いが込められている。本研究は、産業集積が形成され拡大するメカニズムをこれまで以上に深く分析するとともに、外国からの安価な輸入品 との競争に直面して産業集積がどのような反応を示すかを分析し、途上国における産業発展のプロセスの解明に大きく貢献している。
 産業集積のメリットが、具体的にいかなるものであるかについては、これまで多くの研究が行われてきた。企業が互いに近接して立地している産業集積では、経営者の間で信頼関係や共通の規範が醸成されやすいというのも、重要なメリットの一つと考えられている。いわば疑似的な共同体が産業集積地に形成されて、それが共同で行動を起こす際に起こりがちなフリーライダー問題を軽減したり、取引につきものの不正や詐欺的行為を予防したりするのに役立つという議論である。ところが、いわゆるソーシャルキャピタルに関する文献によれば、こうした共同体メカニズムは共同体のメンバーを外部の者よりも優遇することによって機能するのであ り、外部の者の活動は共同体によって阻害されがちである。噛み砕いて言うならば、取引や集団行動は信用できる者同士で行い、信用のない者は相手にしないこ とにしておくと、いったん信用を得た者はそれを失うまいとして不正を働かないので効率的であるが、その反面、新参者がその輪に加わることは難しいから、交易や協力の範囲が広がらないという弊害がある。すべてとは言わないが産業集積のなかには、ダイナミックに発展するものも少なくない。そういう産業集積には、共同体メカニズムの弊害を補って、コネや評判はなくても能力のある新規参入者を集積に取り込んでゆく仕組みがあるのではないかと考えられる。
  本研究の第3章は、下請け制度が産業集積においてそのような仕組みとして機能しているという仮説を提起し、パキスタンの配線器具(電気のスイッチや電球の ソケットなど)の産業集積で収集した企業データを用いて仮説の検証を行っている。パキスタンの社会では、警察や司法がきわめて公正かつ迅速に機能しているとは言い難い。契約が遵守される保証がなければ、社会的な分業は難しく、そうであれば産業集積も発展しない。そこで約束が守られ、取引がスムーズに行われ るための仕組みが必要である。いわゆるコネ、人脈、評判、地縁、血縁などが途上国のビジネス社会では重要な役割を果たすが、パキスタンのような国では猶更そうであると予想される。実際、計量経済学的な分析を通じてデータからも、企業の業績が、経営者の親の職業や地縁その他のコネに左右されることがはっきりと読み取れる。ところが、商人や既存の大手製造業者に製品を供給する下請け企業の経営者は、コネや評判を持たないにもかかわらず、数年すると下請けを脱却して自社ブランド製品を製造する企業へ昇格する。下請け企業の大半は、納入先の商人や企業から原材料を現物で支給されるから、原材料を調達するための運転 資金を必要としない。昇格するのにどれだけの年月がかかるかは下請け企業によってさまざまだが、主な決定因は経営者の教育水準であり、親の職業や裕福度な どはある程度の影響を及ぼすとはいえ重要な決定因ではない。このように下請制度は、コネはないが能力のある企業経営者に猶予期間を与えて実力やコネを獲得させ、やがて独り立ちさせる一種のインキュベーターの役割を果たしていることが明らかになった。
 本研究の後半は、途上国の産業集積がどのように 外国製品との競争に対処しているかを分析している。近年、中国やインドの著しい経済成長とグローバル化の影響で、他の発展途上国の多くは、これらの新興工業国からの工業製品の輸入の急増によって自国産業の衰退を経験した。中国は労働集約的な履物や衣料品をはじめとして、その他の軽工業製品の分野で生産性を高め、比較的品質の高い製品は先進国向けに、品質の低い製品は他の途上国向けに輸出を伸ばしてきた。他の途上国の競合産業は、労働生産性の低さを低賃金で 補って対抗しているが、機械化が相対的に進んでいる中国の製品の方が美しく仕上げられていることなどから、国内でのマーケットシェアを中国製品に奪われがちである。こうした中国ショックによって他の途上国の軽工業は破壊されてしまうのか、そうなるより前に中国で賃金が高騰して中国は軽工業分野で競争力を失 うのか、あるいは他の途上国の生産者が対抗的に生産性や製品を改善するのか、いくつかのシナリオが考えられる。経済発展に関心のある者にとって興味のある問題だが、ミクロの視点からの実証分析はこれまでのところ数少ない。
 本研究の第4章は、パキスタンの配線器具市場にいかに中国製品のシェアが増えてきたか、それに対して地場の企業はいかなる反応を示してきたかを丹念に追跡することによって、この問題に答えようという試みである。配線器具はプラス チックと金属片からできている。プラスチック加工にはいわゆる射出成型機が通常は用いられるが、パキスタンの生産者の大半は射出成型機を購入する資金を欠いているため、人力で加工できるプラスチックの代わりにベークライトという樹脂を使う。ベークライトで作った配線器具は見た目の美しさはプラスチック製に比べて劣るが、耐熱性や難燃性ではかえって優れている。中国からのプラスチック製器具の輸入は2003年から2008年にかけて10倍に増大したが、2008年から2009年にかけて中国からの輸入は25%減少した。この減少の背後には、地場の企業が製品のデザイン、仕上げ、全体的な品質を改善し、同時に生産性も向上させて競争力を強めたことが一因となっている。
 本研究ではまず、製品や製造工程の改善を主導するのは誰かを分析し、教育水準が高く、販売の経験があり、企業経営の経営も比較的長い経営者が率先してそうした改善にあたったことを明らかにした。また、製品の品質が向上するにつれて、 原材料の調達や製品の販売の方法にも変革が加えられたことを示した。東アジアでの産業発展の実証研究によれば、産業が同質的な製品を生産する企業数の増大とともに成長する段階から、企業ごとの製品差別化が行われ製品の品質や生産性の向上をめぐる競争が展開される質的向上段階へと産業の発展段階が移行する際に、生産技術、原料調達、製品の販売にわたる多面的な改革が観察されるという。こうしてみると、中国ショックは途上国の産業をしばしば危機に陥れるものの、必ずしも産業の発展を阻害するとは限らない。かえって競争の激化が多面的な改革へのインセンティブを高め、産業の発展が次の質的向上の段階へ移行するように後押しする可能性もある。
 ただし、産業が質的向上段階へ入るには、生産技術や経営に関する新しい知識を産業が吸収する必要があるが、それは しばしば困難である。まず、どのような知識や技術をどこから学べばよいかは必ずしも明らかではない。そのうえ、コストをかけて外国から知識や技術を導入し てもそれがすぐに他の企業によって模倣されてしまう恐れもある。それでは、誰もが模倣者になろうとするから、技術移転のインセンティブは社会的に見て過小 になりがちである。中国ショックに対して保護主義的な貿易政策で対処するより、こうした困難の克服を支援する政策の方が優れていると本研究は結論付けている。
 なお第3章と第4章の内容は、それぞれ学術雑誌向けの論文として改訂中である。第3章はJournal of Development Studies誌へ近々投稿する予定であり、第4章はEconomic Development and Cultural Change誌へ投稿する予定である。 
 
II. 審査結果報告
 平成22年6月25日に行わ れた本論文の発表会に引き続き、主査の園部哲史、副査の大山達雄、大塚啓二郎、Jonna Estudillo、戸堂康之(東京大学)の5名からなる審査委員会が開催された。審査委員会において指摘された本研究の長所と問題点は以下の通りであ る。
(1) 産業集積における企業活動にソーシャルキャピタルが重要であることを指摘し、ソーシャルキャピタルや資金の不足した新規企業を取り込み産業の生産を拡大す るための制度として下請制度が機能していることを、一次資料を用いて明らかにした。こうした議論はこれまでも唱えられてきたものの証拠が伴っていなかっ た。それだけに、本研究の貢献は大きい。
(2) 中国やインドの急速な経済成長によって他の途上国はいかなる影響を受けているかについては、これまでも多くの研究が行われているが、それらはマクロ経済学 的な視点からの研究であった。企業レベルでの実証研究は乏しく、いったいどのような対応を、地場の企業や産業は取っているのかはほとんど明らかになってい ない。本研究は、その点を実証的に解明したうえで、有益な生産含意を導き出しており、この点でも大きく文献に寄与するものである。
(3) パキスタンの産業に関する事例研究はこれまでもあったが、企業レベルのデータを計量経済学的に分析した研究は存在しない。その事実が、パキスタンで企業調 査を行うことがいかに困難であるかを物語っている。本研究は、そのパキスタンで調査を敢行し、精度の高いデータを獲得しており、その意味でも貴重な研究と いえる。
(4) 第3章の前半で、企業成長に関する理論モデルが構築されるが、その後の分析ではこのモデルがあまり言及されていない。もっと、理論分析と実証分析の連携を密接にするべきである。
(5) 第3章と第4章は、異なる問題を扱ってはいるものの、同じデータを用いて分析しているので、多くの共通点があるはずである。発表会の段階の原稿には、重複を避けるあまり、不自然な記述になっているところが散見される。
 審査委員会は本研究が、最近の研究動向に照らして有意義な問題設定を行っている点、現場から精度の高いデータを収集している点、厳密な計量経済学的検証を 行っている点、政策含意に富んだ分析結果を得ている点から、博士論文にふさわしい内容を有するという結論に達した。上記(4)と(5)に指摘された問題に ついては、論文の修正されるべきだが、主査が責任をもって改訂稿を点検し、指摘された点が修正されていることを確認すれば、審査委員が再び集合して審査する必要はないということで、委員の意見は一致した。主査は、7月下旬に学位申請者から論文の改訂版を受け取り、責任を持ってその内容を確認した。よって審査委員会は全会一致で、本論文が本学博士論文として妥当であると判定する。

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