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学習者の認知活動に働きかける指導に関する実証的研究―ドラマ視聴時の「気づき」に焦点を当てて―

博士論文、要旨、審査要結果

学位取得者氏名: 張 文麗
学位名: 博士(日本語教育研究)
授与年月日: 2010年12月15日
論文名: 学習者の認知活動に働きかける指導に関する実証的研究―ドラマ視聴時の「気づき」に焦点を当てて―

I. 論文内容要旨
 中国における従来の日本語教育について、第二言語習得研究の観点から批評的考察を加え、次の対応策2点を研究の出発点として提起した。①内容が豊富で文脈のあるインプットを与えること、②学習者の認知活動に働きかける指導を行うこと。①については、近年の学習者が教室外でも日常的に日本製のドラマを見るようになっている現象に着目し、ドラマを指導に活用する指導計画を立てた。その際、②の観点から、言語項目の形式的な特徴に気づくことが第二言語習得に必要だとするSchmidt(1990)の「気づき仮説(noticing hypothesis)」に基づき、理解における意味処理の過程では見落とされがちな文法項目に対して、学習者の「気づき」を促す指導案を考案した。本研究は、その指導効果を(1)認知活動の変化、(2)習得の2つの側面から検証するものである。
 対象者は、中国の大学で日本語を専攻する3年生30人である。対象者を実験群と対照群に分け、15週間に渡って、17回の授業を行った。実験群では、学習者に既習文法項目([ている][指示詞][授受表 現])への「気づき」を促す指導、対照群では、未習語の意味推測を促す指導をそれぞれ行い、次の3つの研究課題を設定した。
【研究Ⅰ】ドラマ視聴時に、学習者は何に気づいているか
【研究Ⅱ】指導後、「気づき」はどのように変化したか
【研究Ⅲ】指導後、目標言語形式の習得は促進されたか
 本研究においては、指導前後でドラマ視聴時の学習者の発話思考を採取し、その発話(プロトコル)を分析することで認知活動を解明した。習得の測定については Ellis(2005)を参照し、習得に関わる2種類の知識、暗示的知識と明示的知識を別々に測定するテストを導入した。
 研究Ⅰでは、二つの研究 課題を検証した。研究課題(1)「学習者はドラマ視聴で何に気づいているか」については、ストーリーや俳優の外見、演技に関するコメントが多く、学習者は 娯楽としてドラマを視聴している側面が強いが、日本語の形式・意味・使用に関する気づき、日本文化や日本事情に関する気づきも観察され、日本語学習や日本 文化理解の可能性が示された。研究課題(2)「言語に関する『気づき』にはどのようなものがあるか」については、次のことが明らかになった。形式、意味より使用に関する「気づき」が多く、さらに、使用の中では、使用制約(日本語の語用的な側面)の「気づき」がほとんどで、文法機能に関する「気づき」は少ない。すなわち、ドラマ視聴では、文法項目の習得につながるような文法機能への「気づき」はあまり生じていないことが明らかになった。
 研究Ⅱでは、 指導後の「気づき」の変化を調べるために、二つの研究課題を検証した。研究課題(1)「指導前後で、実験群と対照群の言語に関する『気づき』はどのように 変化したか」に対しては、形式、意味に関する「気づき」が両群共に増え、使用に関する「気づき」は両群共に変わらない、という結果を得た。研究課題(2)「指導前後で、実験群と対照群の文法機能に関する『気づき』はどのように変化したか」については、文法機能に関する「気づき」が、実験群は伸びたが、対照群は伸びなかった、という結果となった。プロトコル・データを質的に分析した結果、1)学習者は授業で取り上げた文法項目だけでなく、取り上げなかった項 目にも気づき、認知比較をしている、2)既習の文法項目に対して、具体的な文脈の中で意識的分析を行っている、3)言語項目によっては意識的分析を行わず チャンクとして認識しようとしている、等の現象が見られた。学習者は、授業では教師によって言語形式に注意を向けさせられたが、指導後の調査では自発的に 言語形式に注意を向けていることから、他者に主導された「気づき」から自己主導の「気づき」へと変化したことが明らかになった。このことは、指導の効果が教室外でのドラマ視聴にも及ぶ可能性を示唆する。
 研究Ⅲでは、「実験群の指導は、対照群と比べ、文法項目の暗示的知識と明示的知識の発達を促進す るか」を研究課題とした。指導前後の習得の度合いを①口頭模倣テスト(暗示的知識の測定)、②文法性判断テスト(明示的知識の測定)、により測定し、両群 を比較した結果、以下のことが明らかになった。1)暗示的知識の伸びは、[ている]に関して、実験群が対照群より有意に大きい。2)明示的知識の伸びは、 [授受表現]に関して、実験群が対照群より有意に大きい。つまり、実験群の指導は対照群より、項目によって効果の差があるものの、文法項目の習得を促進し たことが明らかになった。また、暗示的知識と明示的知識の発達に文法項目の頻度や卓立性が影響している可能性について考察した。
 以上を総括すると、学習者の認知活動に働きかける指導を行った結果、認知活動に変化が見られただけでなく、文法項目の習得も促進されたことが明らかになった。本研究は、 第二言語の教育において認知活動に働きかける指導が教室外にも及びうることを実証し、「教室指導は学習者の学びを方向付けることができるか」という根本的な問いに答えるための基本データを提供することができた。本研究の理論的意義としては、プロトコル分析によって認知活動に関する直接的な証拠を示したこと、日本語の習得研究において初めて暗示的知識と明示的知識を分けて測定するテストを導入したことが挙げられる。また、教育実践面では、中国で日本語教育 に携わる教師に、認知活動に働きかけるという視点を提示することで、言語知識の伝授を重視する教師の意識改革にもつながると考えられる。
 なお、本研究の成果については、すでに国際学会(台北で開催の世界日語教育大会)を含むいくつかの学会で6件の発表を行った。また、論文としては以下のように2編掲載された。
「プロトコル分析は何を明らかにしたか―習得メカニズムを探る研究の概観から―」『言語文化と日本語教育』2008年11月増刊特集号,137-190
「ドラマを素材にしたForm-focused Instructionの効果―暗示的知識と明示的知識の測定を通して―」『日本言語文化研究会論集』第6号,51-67 引用文献:
Ellis, R. (2005). Measuring implicit and explicit knowledge of a second language: A psychometric study. Studies in Second Language Acquisition, 27, 141-172.
Schmidt, R. W. (1990). The role of consciousness in second language learning. Applied Linguistics, 11, 129-158. 
 
II. 審査結果報告
 本論文の最終報告に引き続き、平成22年10月25日(月)15時より審査委員会が開催された。審査委員は、横山紀子連携教授(主査:国際交流基金)、久保 田美子連携教授(副査:国際交流基金)、金田智子教授(副査:学習院大学)、大山達雄教授、今野雅裕教授、岡崎眸教授(お茶の水女子大学)の6名であっ た。本研究を評価する点としては、以下が挙げられた。

 

  1. 中国の日本語教育現場の実情に根ざした問題意識が明確であり、中国の日本語教育の前進に貢献できる内容である。

  2. 学習者の主体性重視に向けて教育改革が進められている中国の外国語教育政策の具体化に寄与できる研究である。

  3. 先行研究が十分レビューされた上で妥当な研究課題が設定されており、研究手法(プロトコル分析)についても十分な調査研究を踏まえた上で実施されている。

  4. 簡潔で明解な文章により、極めて論理的で説得力のある論文となっている。

  5. 本研究が学習者の学習能力・学習方略に着目し、指導の学習成果を検証するに留まらず、教室外の学習にも及ぶ認知活動の変化を明らかにした点には新規性がある。

  6. 明示的知識と暗示的知識を分けて測定する試みは、日本語においては初めてあり、日本語の文法項目を適用したオリジナルのテストを作成・実施・分析して、一定の成果をあげた点は評価できる。

  7. 研究計画、データ収集、データ分析から論文執筆、博論審査発表会に至るまで、計画的な実行を進め、その過程で研究者としての自立性を確立したと考えられる。

 

一方、以下のように、今後への課題も指摘された。

 

  1. 指導前後の認知活動は調査されたが、指導を施した時点における学習者の認知活動を探る試みを今後の課題としてほしい。

  2. 明示的知識と暗示的知識の測定方法、文法項目の用法別の習得難易度を踏まえた上でのテスト例文の選択、結果の分析にはやや不十分なところがある。

  3. プロトコル調査の結果、「気づき」の対象は「その他」「文化」が大きく「言語」は最も小さいことから、将来的には、「言語」のみでなく、「文化」「その他」にも広げた分析を期待したい。

  4. ドラマの種類による効果の違いを探求することも今後の課題である。 

 

以上のコメントを受けて、著者は必要な加筆修正を施した修正稿を提出し、主査の最終確認を経た上で博士論文最終版を提出した。 

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