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極東フランス学院の研究―フランスの対外文化政策における学術・文化機関の役割―

博士論文、要旨、審査要結果

学位取得者氏名: 大宮 朋子
学位名: 博士(文化政策研究)
授与年月日: 2008年2月27日
論文名: 極東フランス学院の研究―フランスの対外文化政策における学術・文化機関の役割―
主査: 垣内恵美子教授
論文審査委員: 今野雅裕教授
大山達雄教授
青木保教授(文化庁長官)
坪井善明教授(早稲田大学政治経済学術院)

I.論文内容要旨
 
近年、国際社会における文化外交・対外文化機関への関心が高まる中、特にフランスは、世界で最初に対外文化機関を設立するなど、文化外交の先駆者とみなされてきた。本研究は、フランスの対外文化機関設立の起源とその理念を考察した上で、フランスが植民地下のインドシナ、ヴェトナムのハノイに設立した対外文化機関である「極東フランス学院(以下、EFEO)」の実態を、文献資料調査とインタビュー調査をもとに明らかにし、対外政策におけるEFEOの意義について考察することを目的としている。
第I部では、フランスが対外文化機関を設立する経緯とその理念について検討し、EFEOという対外文化機関がフランスの植民地インドシナに創設される背景を分析した。フランスにおける対外文化機関を中心とした文化外交の展開は、普仏戦争(1870-71年)の敗北が一つのきっかけとなり、敗北によって失墜した国家の影響力を「フランスの文化の威光(Le rayonnement culturel de la France)」によって回復することを掲げて対外文化政策に乗り出した。この理念の下、フランス語の教育・普及を目指す「アリアンス・フランセーズ」 と、異文化の研究を行う学術・文化機関「フランス学院」が誕生し、世界各地に設立された。一方、フランスが植民地進出したインドシナ(現在のヴェトナム、 ラオス、カンボジア)では、経済的搾取や政治的支配という目的と同時に文化的関心があったことも特徴である。フランスは、インドシナの文化を自らの学術・ 科学の力で解明することを一つの使命と考え、インドシナ各地の文化遺産を調査するための学術調査隊を派遣した。この活動が、後にEFEO設立に結実する。
第 II部では、フランスの対外文化政策の理念を踏まえ、どのようにEFEOが設立され、発展したかを考察した。EFEOは、仏領インドシナを完成させたと言 われる総督ポール・ドゥメールのイニシアティブで、フランスの威光の拡大という目的の下、アテネとローマに設立されていたフランス学院と、イギリスやオランダが各々の植民地に設立した東洋研究のための機関をモデルに、1898年、サイゴン(後にハノイ)に設立された。EFEOの組織としての特徴は、第一に、行政的にはインドシナ総督府が管轄するが、学術的にはフランス本国の公教育省(碑文・文芸アカデミー)が管轄した点にある。第二に、EFEOの設立と運営にはフランスで東洋学の権威となっていた研究者たちが深く関与した。第三に、活動領域は植民地下のインドシナだけでなく、「インドから日本まで」の広くアジア地域を研究対象とした。設立当初から、図書館・美術館の設立、紀要『BEFEO』の出版、アンコール遺跡など広くインドシナ域内の遺跡の調査・保存活動、修復方法の開発、略奪の監視を行うとともに、アジア各地に学術調査団を派遣した。これらの活動を通してEFEOの名は広く知られるようになり、 ヨーロッパの学術界における東洋研究の権威と目され、またフランスのインドシナにおける学術・文化政策の中心的存在となっていった。
第III部で は、フランスがインドシナから植民地撤退すると共にEFEOが閉鎖(1954年)され、その後ヴェトナムと国交回復する際に再開(1993年)された経緯 を考察した。EFEOの閉鎖と復活の経緯を検討した結果、国際環境の変化により、EFEOの存在意義が問われるたびに、EFEO自身によってだけではな く、フランス政府やメディアによってその存続が強く支持されたことが分かる。また、ヴェトナム側もEFEOがヴェトナムにとって重要な文化資産になること を認めていた。1993年2月、フランスのミッテラン大統領がハノイを訪問してヴェトナムとの和解を果たし、政治的和解、経済的協力とともに、文化関係の 再開を宣言してEFEOのハノイでの活動が再開される。フランスの植民地時代に設立されたEFEOの復活が、ヴェトナム人によっても歓迎されたのは、 EFEOがヴェトナムで長期間に渡り文化活動を行ってきた結果、碑文、写本などの歴史史料、美術品が残され、また遺跡が保存されたことにより、ヴェトナム の歴史学や考古学に大きな貢献をしたとして、植民地支配の記憶とは離れて、ヴェトナムで評価されていることによる。
第IV部では、EFEOがフラ ンスとヴェトナムに与えた影響について考察した。第IV部を通して、EFEOがフランスにおけるアジア研究の発展と、それによるフランスの影響力の拡大と いう当初の目的を超えて、フランスが意図していなかった広範な影響をもたらしたことが明らかになった。第一に、EFEOのヴェトナム人研究者を中心とした 近代ナショナリズム運動とヴェトナムにおける文化遺産保護条令(1945年)にEFEOが深く関わっていた。第二に、フランス国内においてヴェトナムの歴史、文化についての情報がEFEOを通じてもたらされるとともに、ヴェトナム独立を支援する動きにもつながった。このように見ると、EFEOの活動と影響が常にフランス政府の利害と一致していたわけではないことが指摘できる。EFEOのような対外文化機関は、公的な機関であっても学術・文化の活動を拠り所として、国を超えた中立的な立場を取り得る。これが、大使館や公使館などの在外公館とは別に、対外文化機関を設立する意味でもある。
 本論を通し て明らかになったフランスの対外政策におけるEFEOの意義は、EFEOの活動を通じて結果的にヴェトナムにも文化資産が残り、そのことが、フランスが植民地支配や戦争という困難な歴史を経た後にも、ヴェトナムとの関係を刷新するのに貢献した、ということにある。学術・文化機関として専門的な文化活動を行 い、また学術的側面だけではない広範な影響を及ぼした結果が、フランスだけではなく、ヴェトナムにとっても文化資産となった。
EFEOを文化外交との関連で考察・分析した研究はこれまでなされていない。宗主国と被支配国という支配関係から次第に対等な関係へと変わっていく複雑な国際関係の中で、公的な対外文化機関であるEFEOが対外政策において果たした役割と意義は大きく、この点を明らかにしたことは、本論の重要な成果である。
 
II 審査要旨
 
  本論文の最終報告に引き続き、平成19年12月27日(木)午後5時から審査委員会が開催された。審査委員は垣内恵美子教授(主査)、今野雅裕教授(副指 導)、大山達雄教授、青木保教授(文化庁長官)、坪井善明教授(早稲田大学)の5名であり、本論文について以下のような意見が出された。
1. 極東フランス学院に関する包括的な研究であり、日本語で書かれた論文としては本邦初の研究である。国際的に先駆的な事例であるフランスの対外政策における 学術・文化機関の活動を、時代の変遷と併せて丹念かつ豊富な文献調査ならびにインタビュー調査を中心に跡づけ詳細に分析し、政策的インプリケーションを導出しており、学術的価値が高い。
2. フランスの対外政策における学術・文化機関の役割が、学際的な視点から比較検討されており、分析手法も科学的である。また、文章も読みやすく、外国語の翻訳もこなれており、論文作成能力・教授能力が十分にあることが証明されている。
3. 本研究のオリジナリティを強調する必要がある。たとえば、アテネ、ローマ、カイロのフランス学院、日本の場合の国際文化振興会、日仏会館などの違いが明確になるような整理があると、より説得力のある議論が可能となろう。
4. フランスの対外文化政策、政府戦略を表すものとして、研究者・行政官等の人的資源の提供、予算措置といった面でのデータがあるとより説得力がある分析となる。さらにデータを用いた国際比較や時系列分析があるとよい。
5. 本論文の主要な成果のひとつである極東フランス学院の活動についての年表は、本文中に盛り込み、極東フランス学院の組織、活動、フランス国内、対外的インパクト、国際状況といった側面からまとめた方が読者には分かりやすい。
 
上記のコメントに対して、論文の修正を行い、主査の最終確認及び各審査委員との了解を得た上で博士論文最終版として提出させることにした。審査委員全員がこのような手続きを経ることを合意し、本論文が本学博士論文として妥当であると結論つけた。

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