学生の方

インドの中等教育における外国語改革-日本語教育改革の展開を事例として-

博士論文、要旨、審査要結果

学位取得者氏名: Nabin Kumar Panda
学位名: 博士(日本語教育研究)
授与年月日: 2012年4月25日
論文名: インドの中等教育における外国語改革-日本語教育改革の展開を事例として-
主査: 野山博
論文審査委員: 簗島史恵、嶋津拓、今野雅裕、大山達雄、水谷修

I.  論文要旨

本論文はインドの中等教育における「外国語政策」に関する政策研究であり、外国語政策の展開過程やその特徴を解明しようとしたものである。そのために、以下に提示する①から⑤のリサーチリサーチクェスチェンを基本として、外国語政策の意味や意義の確認を行い、インドの外国語政策の展開に焦点を当て、外国語普及の妨害要因について探った上で、その解決に向けた検討、考察を行っている。なお、筆者(パンダ・ナビン・クマール氏)自身が日本語の学習者であり教師でもあるため、まず、インドにおける外国語政策の一環としての日本語教育の展開に焦点を当てて論を進めている。次に、外国語政策の展開や言語教育の実施という意味でインドと類似していて、かつ日本語教育の分野でさまざまな取り組みを行っている国々を比較対照国として選び、各国の日本語教育を含めた外国語政策の在り方について考察を行っている。最終的に、こうした考察を行うことにより、外国語政策としての日本語教育の展開・充実に向けて、インドが各国から何を学ぶことができるのか、という意味で得られたさまざまな示唆について総括を行っている。

 

本研究の以下の①から⑤のリサーチクェスチェンを基本として展開する。

①      外国語政策の意味や意義は何であるか

②     インドの外国語政策やその政策の一環として日本語教育の展開はどのように始まり、その意義は何であるか

③     インドにおいて英語の存在は他の外国語(日本語を含む)の教育を妨害しているか

④      英語圏の国々はなぜ英語以外の外国語(日本語を含む)を学習しているのか

⑤       英語圏の国々を含めた、世界の様々な国は日本語教育の普及をどのように展開しているのか

 

 上記①「外国語政策の意味や意義は何であるか」に関しであるが、「外国語政策」とはある国の中央または地方の政府が外国語に関する特定の理念を打ち立てて、どの言語を採用し、その言語の教育をどのように実現していくかということをあらわすものである。多くの国で外国語教育が実施されている理由は、外国語がさまざまな機能を持っており、国の統合や国益に貢献しているからである。次に、外国語のどの機能を重視して行われているのかを検討した。そして国により「関与的機能」「戦略的機能」「情報獲得機能」「実利的機能」「複言語的機能」の1つまたは複数の機能ゆえに、外国語教育を行っていることを整理した。「外国語政策」の研究分野において考えなければならないこととして、1)当該国ではどのような理由で「外国語」を教えているか(外国語教育を行う理由)、2)誰が外国語教育を実施することについて決定しているか(外国語政策を作成する主体)、3)外国語教育をどこで、そして、どのレベルで実施するのか(実施する段階)、4)どの外国語を学習するべきか(外国語の選択)、5)外国語教育をどの時代に始めるのか(外国語教育を実施する時期)を示した。

 上記②「インドの外国語政策やその政策の一環として日本語教育の展開はどのように始まり、その意義は何であるか」に関してであるが、インドでは20世紀前半、タゴールによって設立されたシャンティニケトン学園という学校で日本語が最初に学ばれた。本格的な日本語教育はインドが独立してから始まり、1950年代、1960年代の「黎明期」には軍隊や外交官のための「外国語学校」とのちにネルー大学に併合される「インド国際関係研究所」で日本語が教えられた。1970年代と1980年代の「確立期」には、政府レベルでは停滞したものの、四つの大学でその基盤が作られた。一方、この頃、インドは独立以後の言語政策において、三つの政策を作らなければならなかった。それは (1)インドにおける様々な地方言語や少数言語を整え、それを教育の分野に導入しなければならないこと、(2)インドは、多言語社会であるため、国全体を統一するために、一つの共通語を作らなければならないこと、(3)150年以上も支配的であった、インドの固有語ではない英語の地位を引き下げていかなければならないことである。インドの言語問題で最も重要なことは、二番目の「どの言語をインドの共通語にするのか」ということであったが、これをヒンディー語にしようという計画はヒンディー語圏以外の国民の反対に合い達成できなかった。

上記③「インドにおいて英語の存在は他の外国語(日本語を含む)の教育を妨害しているか」に関してであるが、CBSE(Central Advisory Board on Education:中央教育諮問会議)は、英語を他の3つのヨーロッパ言語と並ぶ単なる外国語と位置づけていた。しかし教育言語については、英語かヒンディー語のうちどちらを選ぶかは各学校に任されたため、結果的に、多くの学校が英語を選択した。これは、CBSEに所属する学校に非ヒンディー語圏の学校が多くなったことや、中央政府自体が英語重視に方針転換をしていったことによると思われる。一方、CBSEの外国語教育については、英語のほかに3つの言語だけが教授されていたが、英語が「外国語」枠から外され、2006年に日本語が入ったところで10ヶ国語、さらに2008年にマレーシア語が入って、現在では11ヶ国語が対象となっている。しかし、そのうちの多くは継承語や地域語とも捉えられ、実際に純粋な外国語は、ドイツ語、ロシア語、スペイン語、日本語、そしてマレーシア語である。

上記④「英語圏の国々はなぜ英語以外の外国語(日本語を含む)を学習しているのか」に関してであるが、英国では、世界に関与するためには「英語だけでは足りない」という考え方があり、学習言語として、アラビア語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、日本語、中国語、ロシア語、スペイン語、そして、ウルドゥー語を挙げている。アジアの言語として中国語、日本語、ウルドゥー語の三つの言語が挙げられているが、このうち中国語とウルドゥー語は、英国で「外国語」であると同時に「コミュニティー言語」としての性格も有している言語である。それに対して日本語は、「外国語」としての性格のみが強い言語である。日本語が外国語科目の1つに指定された理由には、その経済力もあったであろう。オーストラリアの外国語教育は、『英語以外の言語(Languages other than English: LOTE)』を学ぶ政策がとられた。これはLOTEを「権利としての言語」、そして「資源としての言語」という二つの観点から取り扱った。「権利としての言語」とは、英語ができないLOTE母語話者がオーストラリア社会でそれぞれの言語を使い効果的な生活ができるための環境を作り、同時にLOTEを保持できるような手段を作るという考え方であった。ここで注目すべきことは、オーストラリアは、海外で得た言語を国内で保持できる政策を有している国であるということである。NPL(National Policy on Languages: 言語に対する国家政策)やALLP(Australia’s Language, The Australian Language and Literacy Policy:オーストラリアの言語-オーストラリアの言語・リテラシー政策)が連邦政府の主導によって作成されたものであること、あるいはNALSAS(The National Asian Languages and Studies in Australian Schools Program:オーストラリアの学校におけるアジア言語・研究の国家プログラム)とNLSSP(National Asian Languages and Studies in Schools Program:学校教育におけるアジア言語・アジア学習推進計画)という外国語政策を実践するための具体的な計画が連邦政府の資金によってまかなわれたことからも明らかである。

 上記⑤「英語圏の国々を含めた、世界の様々な国は日本語教育の普及をどのように展開しているのか」に関してであるが、英国では、1980年代から言語学習の早期教育について話題になり、初等教育からの外国語学習はこどもの言語能力を強化するだけでなく、コミュニケーション能力の伸長にも役立つと指摘している。オーストラリアでは、早い段階からの導入により、時間をかけて効果的に学習する時間を確保できること、そしてこどもたちがその言語に触れれば進学してからも言語学習に興味を持つと思われることなどを挙げている。韓国では、中等教育から日本語が導入されており、国際化・情報化の社会で生きていくためには早い段階から「生活外国語」を教育することで、外国語の意思疎通力を養うことができると述べている。ベトナムでは、中等教育で日本の文化や情報、科学、技術を学ぶために導入し、中学から高校へ橋渡しすることで、より高いレベルの日本語が習得できることを目指すとしている。

本研究では、論文全体を通して、上記の①から⑤のリサーチクェスチェンに答えるとともに、インドと類似していて、かつ日本語教育の分野でさまざまな取り組みを行っている国々との比較考察を行った。その考察結果から、インドが日本語教育をさらに広げていくために、具体的に他国から学べると思われた点として、以下の3つのことが挙げられる。

まず、中等教育機関で外国語科目を導入するということは、全ての学習者に外国語を学習するような機会を与えることである。しかし、インドでは外国語教育はあまねく広がっているというわけではない。つまり、インドの多くの生徒はこの機会をさえ与えられていないということなのである。この問題はインドが連邦制度を持っている国であるからと思われるが、オーストラリアに見られるように、インドにおいても広く外国語教育を普及するために、外国語政策という観点から強いイニシアチブを取る必要があると思われる。

また、ベトナムのように、最近インドと同様に日本の要請により日本語教育を始めた国が、教材作成や教師養成プログラムを行っていることも、インドの日本語教育にとってはよき参考事例となるであろう。インドの日本語教育を発展させるためには、大学でも日本語教育自体に取り組み、中等教育機関の教師を養成したり教材作成を支援したりすることが必要である。さらに、既に述べたように海外の事例を政府や国民に知らせていくことも、大学で日本語に関わる者がしていかなければならないことと考える。また、中等教育の後期と大学のカリキュラムの連携も考える必要がある。

インドで日本語教育が普及しない一番大きな理由として考えられることは、生徒やその保護者がインドでの日本語に関する利益を(ほとんど)理解していないということである。生徒や保護者に理解してもらうために、インドの中央中等教育委員会や他の中等教育機関もそのカリキュラムやシラバスに日本語教育の利益を知らせるような形に改善する必要があると思われる。外国語教育が、ただ、経済的な利益だけにとどまらず、世界の他の国の文化を知るために必要であること、それが将来のインドを担う若者達の人間形成にとってどんなに大切であることかを広く強く訴えていかなければならない。こうした点においては、やはり、大学の教師たちも、他国の状況を伝えていくことができる立場にあるという意味で、より大きな役割を担っていく必要があろう。

 

本研究の成果はすでに国内外のいくつかの学会(異文化間教育学会 (2008),Mediating multilingualism – meaning and modalities, University of Jyvaskyla, Finland(2008),

日本語教育国際研究大会(2009,2011))においても発表されている。また本研究の成果の一部はすでIndia and Japan – in search of global roles(Promilla and Co. Publishers)に論文“Language learning transcending boundaries: the Japanese language in India and Indian languages in Japan” in Panda and Fukuzawa (ed). pp. 421-444, 2007として発表され、さらに、Mukherjee et al (2011) Tagore and Japan – a Retrospective, Kotkota, Sakura Academy and Citadolに論文“Tagore and Japanese Language: from the writings of Sanno Jinnosuke”,pp.29-39, 2011として発表されている。

 

II.  審査結果報告

本論文の最終報告に引き続き、平成24年3月10日(土)15時半より審査委員会が開催された。審査委員は野山広客員教授(主査)、簗島史恵客員教授(副査)、嶋津拓非常勤講師(副査)、今野雅裕教授(副査)、大山達雄特別教授(政策研究大学院大学)、水谷修教授(名古屋外国語大学)の6名であった。「インドの外国語政策、日本語政策、日本語教育政策を重層的にかなり緻密に調査するとともに、他の国の同じような政策について比較研究を行った力作であり、評価する。」「最近は『課題解決型の研究が新しい。知見発見型の研究は古い。』という考え方が学界全体に広まっているが、この論文を通して、そうではない、つまり、課題解決型と知見発見型の研究を離してはいけないということが改めてわかった。」「テーマが非常に大きい論文であったが、その挑戦意欲を評価する。大きく分けても、インドの日本語教育、中等教育の外国語政策という2つの柱があり、それぞれ、著者の思いが伝わってきた。」「インドの中等教育における外国語政策としての日本語教育の展開に焦点を当てた初めての論文であり、類似した国々との比較考察を行ったことも含めて評価できる。」といった意見に加えて、本論文について以下のような意見や指摘があった。

 

1. 論じている内容についての掘り下げ方が足りない(記述不足)と思われるところは以下の通りである。

*第1章:機能の話の部分の機能の中身が短い。興味深いが話だが、機能自体の中身やこの論文との関わりがよりわかりやすくなる記述と期待したい。

*第2章:1990年代の流れ・動向について、その事項ごとに、どのような関わり合いがあって、ダイナミックに動いたのか、より伝わってくる工夫を期待したい。

日本語教育政策に関して、第4章でその必要性について言及しているところについては、前に出して例えば、第2章の中で記述するような工夫を期待したい。

*第3章 比較研究として4カ国の事例を取り上げた理由の部分では、世界全体での4カ国の位置づけがよりわかるように工夫したほうがいい。学習者の全体像を提示するなどして、海外の日本語教育に関する著者自身のコメントを入れる工夫も期待する。

2. 論じている用語や項目の内容説明や定義などについての掘り下げ方が足りない(記述不足)と思われるところは以下の通りである。

*「外国語政策」の定義

中央または地方の政府が特定の理念を打ち立てて、それをどのように実現していくか、そのひとまとまりが公共政策というものである。それを「どのように扱い、それをどのように普及、教育していくことをあらわすもの」というのは曖昧すぎるので、より明確にするための工夫を期待する。

*「政策を作成している主体が誰か」という問い方

   「外国語政策」のコメントにも関連するが、政策を作成しているのは、通常、政府以外にありえない。例えば、「決定に関わっているのは誰か」というような表現のほうがより適切ではないか(修正を期待する)。

*「グループ1」と「グループ2」

   自ら意思決定したグループ1、日本に言われてやったグループ2という分け方は安易と思われる。政策というのは、実際にはそう簡単に決まっているものではない。きっかけがそうであっても、政策決定までには、他の要素が必ず入っているはず。また、どの項目においても、グループ1のほうががいい、という書き方になっているが、もう少し記述の仕方に工夫をすることを期待する。例えば、外国語政策についても全体の政策の中での位置づけて考える必要がある。理念的なところだけで分けてしまうのではなく、政策決定の流れを考慮した中で見る工夫が必要である。

3. 論文の意義、効果について現在の論文でも述べてはいるが充分ではないと思われた。もっと前面に出す工夫をすることを期待したい。その関連で、書き方(表現ぶり)で、控えめに書かれすぎているところが多いので、もう少し書き方の工夫を期待する。

4. 母語(母国語)日本語の関係についてもう少し触れることを期待したい。外国語を教育することと母語を教育する、ということとどういう関係にあるのか、どういう位置づけになっているのか。小数言語に言及した部分で少し触れられているが、可能なら著者の考えをもう少し明確に出してもいいのではないかと思う。

5. リサーチクエスチョン(RQ)と論文全体のつながりに関して、もっと工夫をすることが期待される。例えば、現在のRQは外国語政策に偏っているが、副題に入っている日本語教育についても適切に入れたほうが、論文の流れがよりわかりやすくなるものと思われる。また、論文として構成上の工夫、内容の追加や改善といった点をさらに考慮して欲しい。また前半部分と4章、終論部分の関連、リンクをより明確にして欲しい。

6. 比較研究のまとめ方に関して工夫が期待される。他国の例をインドの状況に直接当てはめる、というのは、実際には、それぞれの状況があって難しいことが多いのではないか。要は、他の国から学ぶ、と言っても短絡的には結び付かないものも多いので、その意味でのまとめ方の工夫(受け止め方、役立たせ方等の工夫)を期待したい。

7. 今回の論文については、大きなテーマに関して、粘る強く調査を行い、力を尽くしており、その努力については評価できる(「立派な成果である」)。その反面、曖昧なところ、つまり問題となるところが、大きいテーマに隠されて見逃されている部分がある。今後の課題として、テーマやスケールは小さくても、目標をより明確にして、目的と方法論を確実に結び付けた追究にむけて漸進することを期待する。

8. 本研究の成果はすでに多くの国内外の関連学会においても発表され、学術論文としても2編がすでに刊行されているということは、本研究論文が研究成果としてのオリジナリティーを有し、レベルが高いことを意味し、本学の博士論文の水準に十分に達していると評価できる。

 

上記のコメントに対して、著者は直ちに論文の修正を行い、修正稿を提出し、主査の最終確認を経た上で各審査委員の了解を得た上で博士論文最終版として提出した。審査委員全員は本論文が本学博士論文として妥当であると結論付けた。 

以 上

〒106-8677 東京都港区六本木7-22-1

TEL : 03-6439-6000     FAX : 03-6439-6010

PAGE TOP

Print Out

~