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AN INQUIRY INTO THE RAPID DEVELOPMENT OF THE PHARMACEUTICAL INDUSTRY IN BANGLADESH

博士論文、要旨、審査要結果

学位取得者氏名: Md. Nurul Amin
学位名: 博士(開発経済学)
授与年月日: 2013年3月19日
論文名: AN INQUIRY INTO THE RAPID DEVELOPMENT OF THE PHARMACEUTICAL INDUSTRY IN BANGLADESH
主査: 園部哲史
論文審査委員: 大山達雄、Jonna Estudillo、大塚啓二郎、岡田羊祐(一橋大学)

I.  論文要旨

開発途上国では産業の育成を図った政策はほとんど全て失敗に終わっている。既に多くの研究が、産業政策が失敗した理由を調べているが、どうすれば成功するのかは分かっていない。本研究は、このように途上国では非常に珍しい産業政策の成功例を見つけ、企業調査を実施して企業データを集め、統計的な分析とオーラルヒストリー的な分析に基づいて、途上国における産業発展のプロセスと産業育成政策の在り方を実証的に明らかにしようという研究である。

珍しい成功例というのは、本研究のタイトルにある通りバングラデシュの製薬産業である。バングラデシュは途上国の中でも特に貧しい40数か国の後発開発途上国の一つである。この国の製薬産業はいわゆるジェネリック医薬品(後発医薬品ともいう)、すなわち特許期間の切れた医薬品を模倣して生産・販売することに特化していて、新薬の開発はまったく行っていない。そのうえ有効成分の大半を輸入に頼っているので、製造工程は有効成分を他の成分と混ぜ合わせ、タブレットにして包装するだけの単純なものである。とはいえ、薬学、化学、工学のしっかりした教育を受けた技術者、適切な生産管理と衛生管理に精通した管理者や従業員、清潔に管理された設備が必要であるため、後発開発途上国のなかでこの産業の発展に成功しているのはバングラデシュだけである。大半の途上国の医薬品市場は多国籍企業に牛耳られているため、医薬品価格は先進国よりも高いが、バングラデシュでは多国籍企業に対抗する国内産業が発展し、低コストでジェネリック製品を生産しているため、医薬品価格が世界一といってよいほど安い。近年は安全基準の厳格なヨーロッパや北米への輸出も行っており、日本の最大手も含めた世界の一流の製薬企業からの委託生産の引き合いがある。

1980年代初頭のバングラデシュには、多国籍企業の子会社のほかにバングラデシュ人が所有し経営する零細企業が既に100社あまり操業していたが、それら国内企業の生産能力は取るに足りないものであり、他の途上国と同様に国内市場は多国籍企業に牛耳られていた。そこで、政府が1982年に医薬品価格の引き下げを目指して、天井価格の設定などの一連の規制を導入するとともに、国内産業の育成に乗り出した。この政策はすぐに功を奏して、既存の製薬企業が成長を始め、有力な新規企業の参入も相次ぎ、産業の発展が軌道に乗った。その後、政府は安全規制を強化しつつも、価格統制や産業育成政策などの介入は徐々に穏やかなものにしていったが、この産業の発展は持続し、前述のように近年は目覚ましく成長している。しかしこうした事実は経済学のみならず社会科学の研究者の間でほとんど知られていない。この産業に関する本格的な調査研究はこれまで全く行われてこなかった。

本論文は、(1)1982年に政府が医薬品市場への介入を始めた経緯、(2)その主要な目的であった医薬品価格引き下げの達成度、(3)国内製薬産業の持続的成長を支えたメカニズムという3つの問題に焦点を当てる。この3つの問題の探求を総合して、他の途上国では失敗ばかりの産業育成政策がバングラデシュの製薬産業で成功した理由を考察している。(1)については、当時の政策立案者や企業経営者からの聞き取り情報に基づいたオーラルヒストリー的な研究を展開している。(2)については、いわゆる必須医薬品の価格情報をバングラデシュ、インドネシア、イギリスなどから集めてパネルデータを構築し、比較分析を行っている。(3)については、製造技術、マネジメント、マーケティング等の知識(広い意味での技術)を先進国からの取り入れ人的資本を蓄積することによって産業の持続的発展に成功したという仮説を打ち出し、それを企業調査によって集めた企業データを用いて検証している。

本論文の主なファインディングは以下の通りである。多国籍企業が途上国へ直接投資をすると、多国籍企業で働く現地の従業員が技術を学び、やがて地場の企業へ移動して地場産業の発展に寄与するのではないかという議論があるが、そういうストーリーが実現したケースはあまりない。それは、現地の従業員が教育水準のあまり高くない一介の工場労働者にすぎず、地場企業が彼らを雇用しても国際競争力のある製品を作ることができないからであろう。バングラデシュでは、1964年にダッカ大学が薬学部を設立して以来、製薬関連の専門的教育が活発に行われていた。その卒業生の多くは多国籍の大手製薬企業の現地子会社に就職し、1982年の時点で工場長、技術部長、販売部長等の要職を占めるに至っていた者は少なくない。彼らは多国籍企業の技術やマネジメントを身に付けていた。こうした高度人材が豊富に存在したことは重要なポイントである。

だが、彼らが多国籍企業に留まる限りは、地場産業の発展は起こらない。バングラデシュの製薬産業において、高度人材が多国籍企業での高い地位を捨てて地場企業へ移動したのは、政府による産業育成政策が地場企業の収益性を劇的に高めたからである。金融機関は、地場企業へ喜んで資金を提供し、地場企業は多国籍企業の製品を模倣して販売するために必要不可欠な高度人材を迎え入れ、積極的な設備投資を行った。こうして産業育成政策は苦も無く功を奏して、多国籍企業から市場の一部を奪取することになった。

また、多数の国内企業が成長し価格競争が起こったため、政府が意図したとおりに必須医薬品の価格が大幅に低下し始めた。さらに地場企業は、大学・大学院と多国籍企業からの人材獲得や、外国や企業内での活発な研修でも競争し、高度な専門知識を有する高度人材の再生産を続け、先進国で次々に創造される新しい知見を吸収し続けた。これがこの産業の持続的成長の原動力となった。

産業育成政策は、多国籍企業とその母国である米英独の政府の強い反発を招いたが、政府はそれに動じずに政策を断行した。それは、政策の企画立案に当たった専門家委員会が、国内のみならず世界の医薬品市場の動向、欧米の消費者運動の動向、多国籍企業と先進国政府の関係などに精通した真の専門家集団であり、政策が地場の企業や多国籍企業や消費者に及ぼす影響をかなり正確に見通していたからである。本論文は、以上のファインディングに基づいていくつかの政策含意を導いている。

 

II.  審査結果報告

平成25年2月18日に博士論文最終報告会が開催され、それに引き続いて審査委員会が開かれた。審査委員は、主査の園部哲史、副査の大山達雄、Jonna Estudillo、大塚啓二郎、岡田羊祐(一橋大学)の5名である。委員会では、本論文について次のような意見が出された。

(1)経済理論の適切な応用に基づいて現実の政策問題を深く掘り下げた優れた政策研究といえる。

(2)本研究のために収集された170社余りの企業データは、財務情報に加えて経営者の学歴や職歴、創業の経緯等の情報を含む貴重なものである。

(3)図表の見せ方に工夫の余地がある。

(4)回帰分析の結果の説明に不明確なところがある。

(5)既存の文献を展望している第2章では、医薬品市場にさまざまな「市場の失敗」の問題があったからこそ適切な政策介入が大きな成果を収めたという議論を、より鮮明に打ち出すべきである。

このように審査委員会では、本論文にはまだ改善の余地が残ることが指摘されたが、全体としては学問的に高度な内容をもち、政策含意も有することから、本学の博士論文としてふさわしいという議論が大勢を占めた。そこで委員全員の一致した結論として、上記のコメントに沿って論文が修正され、主査が責任を持ってそれを確認するという条件付きで、博士論文を合格とすると決定した。

その後、学位申請者は主査の指導の下に論文の改訂を行い、最終版を提出した。主査はそれを詳しく検討し、指示に沿って正しく修正が施されていることを確認した。したがって、当審査委員会はこの博士論文を合格とする。

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