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政策の長期継続に関する要因分析 -日本の石炭鉱業を巡る政策過程を素材に-

博士論文、要旨、審査要結果

学位取得者氏名: 佐脇 紀代志
学位名: 博士(政策研究)
授与年月日: 2003年11月12日
論文名: 政策の長期継続に関する要因分析 -日本の石炭鉱業を巡る政策過程を素材に-
論文審査委員: 西本晃二
大山達雄
青木保
加藤淳子
飯尾潤
御厨貴

Ⅰ.論文内容要旨
 
 本論文は、日本の石炭鉱業をめぐる政策過程を素材とする事例研究を行うことによって、政策の長期継続過程を説明するための理論的な枠組みを提示することを目的としている。
その意味では、政策史的な視点と政治学における理論的な視点との複合的な見方によって論文を構成するという野心的な試みでもある。
 本論文の構成は以下のようになっている。
 
第1部 序
 第1章 序
 第2章 分析枠組みの構築
 
第2部 フェーズⅠ
 第3章 均衡状態を構成する基本的要素の萌芽
 第4章 均衡状態の形成過程
 第5章 均衡状態の持続
 
第3部 フェーズⅡ
 第6章 認識制約要因の弱化
 第7章 認識制約要因の弱化した後における政策継続のメカニズム
 第8章 政策変化の可能性と限界
 
第4部 結論
 第9章 結論
 
  注
  参考文献
 
 著者は第1部において理論的検討と仮説の提示を行い、第2部及び第3部においてその歴史的検証を試みている。そこで、以下本論文の構成にしたがって要旨を述べることとする。
 
  第1部において著者は先行研究の批判的検討を行ったのち、著者自らの仮説的な要因の抽出を行う。著者によれば、これまでの政治学においても「一旦決定された政策(public policy)が大きく転換することは稀である」という事象には強い関心が向けられてきた。そこでその先行研究を検討してみると、第一に歴史的な社会経済 的構造に要因を求めるケース、第二に政策過程に参与する個人に焦点を当て、その認識力や判断力の限界およびその個人の保守性に要因を求めるケース、第三に稀に生ずる変化の一側面との対比を強調して継続性を支える概念を提示するケースなどが挙げられる。
 しかしながら、これまでの先行研究は高度に一般的な理論の構築を志向する結果、複雑な政策過程の中でもとりわけ特殊な局面に関心を集中させてきたきらいがある。そうでなくとも、そこに展開される理論 的枠組みが極めて包括的で、その結果比喩的な表現に留まる傾向を持つ。著者は以上に続いて、ある個別の政策が長期的に継続する状態について、外在的でなく 内在的に一貫性を持った説得力のある説明を行おうとした場合、十分に分析枠組みとしては機能できない限界を持っているとして、先行研究を批判する。
  そこで本論文では、すべての政策事例に適用可能となる政策継続という現象についての一般的な因果的メカニズムの提示を目指すのではなく、政策継続という現象を考察する際に適合的な条件を兼ね備えた「決定的事例(crucial case)」として、日本の石炭鉱業をめぐる政策過程に注目し、その長期継続をもたらした因果的メカニズムに関する仮説の構築と検証を目指している。
  続いて著者は自ら構築したいくつかの分析仮説の提示を行う。まず第一に、政策継続を促す三要因として「α認識制約要因」、「βアクター限定要因」、「γ行 動阻害要因」を抽出する。これら三要因についての検討を行ったのち、次いで第二に石炭政策における政策段階論に依拠して、政策継続過程を二つの時期に区分する。そのうちフェーズⅠは政策の必要性や目的に関する共通の了解が、アクター相互の間で醸成されなお存在し続けていた時期とする。これに対してフェーズ Ⅱはそれらがほぼ失われた時期とする。
 著者によれば、フェーズⅠは「α認識制約要因」が強く作用する中で政策が継続される状況である。そこでは主要アクターが特定されたのち、それらアクター間の相互作用が行われた結果、政策課題、政策理念、政策手段、政策決定手続きに関する共通の認識が醸成され、特定の政策体系や政策理念を媒介とする均衡状態が成立することになる。そして政策を媒介とする均衡状態が成立すると、政策継続の三要因のいずれもが機 能して、政策継続を強く促す状況がもたらされていることがわかる。あえて政策過程分析を先取りして言うならば、著者はその状況を、1960年代後半の均衡 状態成立後に展開された、石炭政策の二度にわたる政策延長をめぐる政策過程事例を、テストケースとして用い検証している。
 フェーズⅡは「α認識 制約要因」の作用が弱化した中で政策が継続する状況である。すなわち、ある特定の政策を取り巻く環境が大きく変化したため、本来主要アクター間に共有され ていたはずのその政策の目的や理念に関する共通認識が崩れてしまったのである。それにもかかわらず、「βアクター限定要因」及び「γ行動阻害要因」の二つの要因のために、この特定政策の体系はなんら変化することなく維持され続けたのである。具体的には政策の変更や集結を意図する潜在的なアクターについて、「変更・集結メリット」がそのために要する「逸脱コスト」を上回らない限り、政策変更を目指す戦略は選択されないという仮説を提示する。さらにそれを説明 するために「ルーティン化構造」や「安定固執化構造」といった概念を導入する。そして政策変更を意図する潜在的アクターが現実に直面する環境に対して変化 をもたらし、政策変更の可能性を作用するものとして「外生的インパクト」を考慮し、政策の長期継続過程で表出する「局所化」の現象とその効果についても言 及する。フェーズⅠのときと同じく、現実の石炭政策の決定過程において、1960年代末から2000年に至る時期に、政策の再延長の是非をめぐって展開さ れた合計7回に渡る政策過程事例をテストケースとして用い、この仮説の妥当性を検証している。
 
 以上の理論分析に続いて、詳細な政治過 程の叙述に移る。第2部ではフェーズⅠの政策史的叙述がなされる。この要旨では、具体的な叙述を避けやや抽象的にその過程を紹介することにしたい。戦後復興期からエネルギー革命が本格化する1960年前後までの時期に、「政策で解決すべき問題群とそれに対する政策手法」や「政策理念」が定まる。同時に、「主要アクター」が出揃い、「主要アクターの相互関係」も決まることになる。その結果、主要アクター間の主観的な認識が一定の方向に収束し、政策を媒介と する均衡状態が成立する。とりわけ、政策資源負担アクターといえる政治家や通産省は、三池争議に代表されるような政治的対立、労働運動に起因する社会的混乱を回避するという観点をすべてに優先する。それと同時に、有沢広巳、植村甲午郎といった戦中・戦後から石炭政策にかかわった指導的人物が、石炭と石油を 「総合エネルギー対策」及び「エネルギー安全保障政策」のようにセット化された政策フォームとして提示した。そのため、かなり長期の間、この政策フォームは変わることなく用いられることとなった。
 以上を前提として石炭政策が継続されていく状況を、本論文は第二次そして第三次の石炭政策決定過程に則して詳述している。
 
  第3部は、フェーズⅡの政策史的叙述である。上記のフェーズⅠの時期に構築された政策を媒体とする均衡状態が続き、かなり強固なルーティン化構造と安定固執化構造がもたらされることとなる。そのため、フェーズⅠの成立を促した諸条件が変化し「α認識制約条件」が弱化しているにもかかわらず、石炭政策は変更されることなく続いている。これはとりわけ第4次石炭政策の決定過程において検証される。
 続く第5次石炭政策は、原料炭の不足を契機として決定される。ここでは「エネルギー安定供給」の理念に依拠したため、石炭政策は再び強化される結果となった。それでは、第6次、第7次石炭政策はどのように展開されたであろうか。政策の転機はオイル・ショックであった。しかし、すでに量的には問題にならなくなっていた国内炭をここでまた「エネルギー安定供給」 の観点から意味あるものとして評価した結果、これまでの石炭政策はさらに温存されてしまったのである。
 さて、第8次石炭政策である。ここでは円高等の理由により、これまでにない不況に直面した鉄鋼業界が、初めて「変更・集結メリット」の獲得に挑戦した。すなわち、石炭鉱業の労使らとの対立によって生ずる「逸脱コスト」をあえて受忍しても、政策資源負担アクターの立場から離脱することに成功する。これに対して電力業界は、変わることなく政策資源負担アクターの立場に甘んずることとなった。
 最後は、ポスト8次石炭政策の局面となる。すでに、「エネルギー安定供給」の理念から言っても国内炭 の意味は完全に消滅していたにもかかわらず、石炭政策はさらに15年間も継続した。ちなみに、電力業界は政策資源負担アクターの地位からついに脱することなく、幕引きに応じたのである。
 
Ⅱ.審査要旨
 
 本論文の審査要旨を理論的部分と政策史的部分とに分けて述べる。

 

理論的部分

 

  政策の変化と継続に関しては政治学の分野においては、確かにさまざまな既存研究とアプローチが存在する。本論文においては、これらのアプローチを、歴史的新制度論、path dependence理論、incremental decision making model, policy window modelなどいくつかのカテゴリーに分け、過不足なく批判検討を行っている。これは、本論文のディシィプリンに関して著者が十分な知識を持ち、それに基づいて著者自身のアプローチを引き出すという博士論文としては当然の作業を行ったものと判断できる。
 また、一般に博士論文においては、理論と事例をどのように関係付けるかという点が大きな問題となる。本論文では、それについて、冒頭で事例を政策の継続という問題意識にいかに関係付けうるかという 観点から詳述している。理論的含意としては、「α認識制約要因」「βアクター限定要因」「γ行動阻害要因」の三要因に分け、それらがどのように政策の継続を引き起こしたかを、過程論的記述に則したかたちで議論したところに大きな貢献が認められる。
 したがって、事例から理論的含意を引き出すという比較政治学の方法論を、誠実かつ地道に行った点を高く評価できる。もっとも、過程記述と理論的含意の齟 齬を避けようとするあまり、これら三要因そのものの定義と相互の関係が複雑でわかりにくくなったきらいがある。しかしながら、本論文を丁寧に読むならば、「α認識制約要因」が、他の二要因に影響を与える上位の要因として捉えられていることがわかる。この点をより明示的に理論的含意に盛り込みつつ、他の二要因をさらに明確に定義することができれば、本論文はより一層の貢献を比較政治学にもたらすであろう。
 さらに、本論文で提示された仮説の有効性がどの政策分野にまで及びうるかは、著者にとっての今後の検討に委ねられるであろう。

 

政策史的部分

 

  政策過程の具体的記述に関して、著者は、理論的枠組みに則しつつ、それと明らかに矛盾する可能性のある出来事や現象に関しても、かなり細かい点までを取り上げ著者自身の説明の有効性を示すのに努力している。これは、事例の研究としては良心的な態度であると評価できる。他方で、この記述全体が多少とも読み づらい印象を与えることは否めない。しかしながら、こうした考察こそ、専門研究としては必要不可欠な作業である。したがって、こうした作業をいかなる形で論文の形式に盛り込むのかという表現上の技術的な問題が、おそらくは公刊に際しての著者に残された課題といえよう。
 ところで、石炭鉱業に関しては過去に蓄積された業績は意外にも少ない。政治史はもとより、経済史や社会史の分野に広げてみても、戦後の炭鉱国家管理から 三井・三池闘争までの研究は数多く存在する。しかし、著者のような観点からこの時期までを分析した業績は少なく、1960年代以降今日までをカバーした研 究業績は本論文が初めてである。その意味で、政治史および政策史的な貢献は極めて高いと評価せざるを得ない。
 本論文の注に掲げられた資料の多くは著者が自らの努力により収集したものが多い。たとえば、「石炭時報」あるいは「石炭石油通信」といった業界紙的なも の、さらには通商産業省において今日情報公開すれば手に入るさまざまな省内資料を丹念に読みこなしている。のみならず、本論文の依拠する実証的資料として特筆すべきは、著者自らが行った石炭政策の関係者13名に対するオーラルヒストリーであろう。歴史的実証分析において最も重要なことは、反証可能性のある 論文に仕上げることに尽きる。その点で言うならば、著者は本学のCOEオーラル政策研究プロジェクトの全面的支援を受け、本論文の完成と同時に『石炭政策 オーラルヒストリー』と題する資料集を成果として公にした。論文作成と資料の公刊を同時的に行うことは通常なかなかできることではない。著者の超人的な努力の賜物といわざるを得ない。
 ただし、繰り返し述べてきたように本論文は読みやすさという点で、明らかに読むものの忍耐力を要求するものとなっている。もっともこうした生硬い表現の中にこそ歴史の真実が秘められていることもまた事実ではあるが。いずれにせよ、本論文公刊の際には表現をわかりやすくするべきものと考える。

 

Ⅲ.結論

 

  以上の審査要旨から理解されるとおり、本論文には、博士論文としていくつかの問題点を上回るオリジナリティーとメリットが存在する。したがって、理論および実証の双方において博士論文にふさわしい学問的業績であると考える。審査委員会は、本論文の査読及び発表会での報告と質疑応答のすべてに鑑みて、博士(政策研究)の学位を授与することが妥当であると結論する。

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