19. 遥かなる、ディエンビエンフー

今年の3月中旬にベトナム北西部にあるディエンビエンフーに出張に行ってきた。ハノイから飛行機で1時間くらい、でも陸路で行くと十数時間。今回は、某日系援助機関に現在お勤めの 今井さんに誘っていただいてのことである。今井さんとは2004年夏に私がベトナムを初訪問したとき以来のお付き合いである。人の入れ替わりの激しいベトナムでは多くの駐在員の方が2〜3年で回転するので、私の当初の知り合いの多くは既に離任しており、 今井さんは貴重な当初からの友人である。

さて、出張の主な目的は農産物加工に関するワークショップで、そこにUNIDOが以前行った女性の零細企業家支援プロジェクトから元プロジェクトメンバーと女性企業家を合計4名連れて行き、ディエンビエンフーの地方政府関係者や企業家と知識・経験を共有することであった。それなりの成果はあったと思うが、常に私の興味と行動は脱線しがち。すみません、 今井さん。


「ディエンビエンフー」の名を、「ディエンビエンフーの戦い」でご存知の方は多いだろう。ベトナム独立戦争の分岐点ともなった、フランス植民地軍とベトナム人民軍との最後の激戦地である。1954年3月13日、ベトナム人民軍はディエンビエンフーに陣を敷いていたフランス軍に対して攻撃を始めた。激戦の後、同年5月7日にフランス軍は敗退する。このような歴史をもつこの地域も、無知な私から見ると今では山間ののどかな町である。


一応、産業発展戦略を専門分野としている私の興味は、はてさてこの地域の産業にはどのような可能性があるのであろうか、というあたりに集中する。物品をハノイなどの都市に送るなどしなければ発展の見込みはないのでは、と勝手に想像していたが、意外と地域内で経済がうまく循環しているような気がする。経済指標を見たわけでもないのですべて印象の範囲だが、訪問した家具加工の家族企業なども、域内でのビジネスでそれなりに潤っているように見えた。アセアン近隣諸国と比べても大きい人口規模をもつベトナムでは、都市市場へのアクセスや輸出だけが産業発展への道ではないかもしれない。

さて、私たちの招待した中部クアンビン省の2人の女性企業家は、ワークショップに参加した当地の女性同盟の会長から招待を受け、さらに女性同盟主催の別のワークショップで簡単な講演を行った。もともといろいろな省の間でのGood Practiceの共有を促進したいと思っていたので、これはとても嬉しい機会であった。そして、自ら企画しそれを即実行した女性同盟の会長に拍手である。因みに、参加者は少数民族であるターイ族のコミュニティ・リーダーの方々でした。その名の通り、起源はタイにあるようです。タイ語も理解できるとのことですが、私が「コップン・カー(ありがとう)」と言った際には全く理解されず、あれ?ちなみに、既婚者の女性は髪を上でお団子のように束ねるのだそうです。

そして、女性同盟でのワークショップの後は、皆で昼食に招待された。いわゆる鍋料理であるが、これがとてもおいしかった。女性同盟の会長とそのご主人が経営しており、「私も企業家の1人なのよ」との言葉には力がある。というわけで、私も一躍買ってお店の宣伝。本当においしかったので、ディエンビエンフーをご訪問の際には是非行ってみてください。


さて、こういう状態になると昼であろうが夕方であろうが、お酒を飲まされるのがベトナムではお決まりである。ただ、ハノイやその近辺では女性はあまりお酒を飲まない(少なくとも外では)ので、今回は大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、これが大きな間違い。ターイ族の女性はとってもお酒が強いようで、男顔負けの焼酎一気飲みの洗礼が始まってしまった。というわけで、代わる代わる私たちのテーブルにグラスとボトル片手にやってくる。お陰で私はノックアウト寸前になるまで飲まされてしまった。

酔っ払ってとってもご機嫌の私に、UNIDOの元プロジェクトメンバーは、「あなた、ここにずっと残れば」とからかう。まあ、それは無理だが、またいつか戻って来たいと思いつつ離れた、私の2泊3日のディエンビエンフーへの旅でした。この話の落ちはどこだ?ディエンビエンフーの女性は強い、というところでしょうか。

20088月)

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